Basso Continuo's Music Page
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2005年11月19日(土曜日)に、宇都宮市内、 「栃木県総合文化センター」で 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.13」 という演奏会が催されます。こちらに演奏会案内を掲載しています。 私は毎回この演奏会にチェンバロ・オルガンなどの鍵盤奏者として参加しているのですが…今回採りあげる曲は、バッハ(J.S.Bach)の「マニフィカート(Magnificat)」そして、ラター(John Rutter)の、これまた「マニフィカート(Magnificat)」であります。果たして、無事に演奏会本番を迎えられるのか?以下をご覧ください・・・
ご注意:
1.テキスト量が膨大になってきたので、以下のように分割しました。
今日は合唱合奏合同練習の日。合唱隊は、バッハ(J.S.Bach)についてはすでに音取りを完了し、ラター(或いはラッター, John Rutter)に関しても最後の1曲を除外して音取りは一応終了したそうだ。
しかし、まだまだ完成とはほど遠い。バッハについてはメリスマ(melisma)が未だに最重要課題として残っている。この日には「Fecit Potentiam」に関する集中特訓が行われた。7月10日の日記に記載した曲だ。このとき書いたように、「Fecit Potentiam」はフーガ展開を用いて構成されており、このフーガ主題がメリスマだらけなのだ。このメリスマこそが大きな課題。逆に、このメリスマが克服できて、フーガ主題を余裕で演奏できるようになったとき、この曲は完成間近だということができるだろう。
ラターのマニフィカトに関しては、私の最重要課題は「リズム」である。例として、こちらも「Fecit Potentiam」をとりあげてそれを示してみる。「Fecit Potentiam」は、低音楽器(チェロ、コントラバス、ハープ、ファゴット等)が演奏する以下に示すような旋律で開始される。
この旋律のリズムは単純ではない。実際、私を含め、数人のメンバーがこの旋律を正確に演奏することができなかった。
複雑なリズムは更に続く。第30小節からはフーガ展開が始まる。
「Fecit potentiam in brachio suo」でフーガ展開を使用する手法はバッハのマニフィカトと同じであり、ラターがバッハの影響を受けた可能性がある。しかしその雰囲気は著しく異なる。伴奏を担当する低音楽器が演奏する不可思議な旋律、そしてその複雑なリズムは、この曲に若干奇妙な感じを与える。器楽低音だけではなく、フーガ展開自身もいささか「変態的」(笑)だ。合唱バスに導入されるフーガ主題(Dux)と、テノールに導入される応答(Comes)の間の音程は、通常の「完全5度」ではなく、「減5度」なのだ。このフーガ展開では、以下の楽譜が示すように、応答(Comes)は自由な音程で呈示されるのである。
そして、フーガ展開の後に極めて複雑なリズムの交錯が続く。
実は私はこの楽譜、特に、頻発する拍子変化を見たとき、「めまい」を感じました(^^;)。この曲のテンポは「Allegro energico, ♩=132」と指定されている。決して遅い曲ではないのだ。この曲を演奏するために必要な物はひょっとすると「反射神経」かも知れない。そして私は反射神経は鋭くない。果たして、本日の練習では私は完全崩壊。どないしょ(爆)
以下の部分も、「地雷」(笑)の1つだと言えるだろう。
冒頭楽曲「Magnificat anima mea」歌唱開始部分
終曲の後半「Sicut erat in principio」歌唱開始部分
後者が前者の再現であることは一目瞭然だ。ところが後者では、突然拍子変化が発生する。この拍子変化は、おそらく、再現旋律を歌詞「sæcula sæculorum」に適合させるために行われた処理だろう。しかし、私は器楽担当者。そして、器楽には歌詞は存在しないのだ。歌詞の存在を考えなければこの部分は単なる「特異点」(^^;)。或いは、この部分でも反射神経が要求されるのかも知れない。
いや~、先回の練習(8月21日)、ラター(John Rutter)は悲惨極まりなかった。リズム音痴を露呈しまくったのである。とにかく出来が悪すぎたのだ。思い出すのも憂鬱である。そんなわけで8月21日の合同練習については記載を割愛(爆)。私はその日から緊急で譜読みを再度実施したが未だに楽譜の把握は十分ではない気がした。戦戦恐恐たる思いで9月11日を迎えたのである。
9月11日の合同練習は午後6時からであったが、その前の約4時間、私は一人でオルガンを触っていた。通常の練習で使用している電子楽器ではなく、演奏会会場で実際に用いる本物のパイプオルガンである。目的はオルガン鍵盤の感触に慣れることももちろんだが、ストップ(音栓,音色切り替え)の操縦方法を検討することも含んでいる。昨年の演奏会で既に触ったことがあるオルガンだから、使い勝手はおよそ把握できている。一人で鍵盤を押し、ストップを操作しながら、楽譜に音色切り替えの指定を書き込んでいく。午後6時からの合唱合奏合同練習では検討した音色に基づき音量を調整する。この結果を次回のオルガン練習にフィードバックし、再びストップを検討し直すのだ。
さて、合唱合奏合同練習の最初はバッハ(J. S. Bach)のマニフィカート(Magnificat)。私は一つの試みをした。パート数が少なく、譜めくりが少ない曲では「スコア(総譜)を見て弾く」ということだ。パート譜では通奏低音(basso continuo)を実施(realize)してあるが、あくまで一つの「例」であり、これに従う必要はない。一方、パート譜には記されていない他パートの動きが、スコア(総譜)には書いてある。譜めくりの問題がない場合、通奏低音奏者はスコア(総譜)を見て弾くべきだというのが私の考えだ。結果は…悪くない。もっと早い時期の練習から行うべきでした。(^^;) バッハは「Fecit potentiam」に登場する合唱の「地獄メリスマ」(爆)を例外として、それ以外の部分では曲全体がかなり姿を現してきた。今回課題が残っているのは独唱曲(アリア)。リトルネロ(=ritornello, Tuttiで演奏される前奏間奏後奏部分)が再現する直前、擬終止(deceptive cadence, ドミナントから主和音に入らずにVIの和音に進む和音進行)からもういちど完全終止(perfect cadence)を行う間で発生するテンポ変化の感覚だ。これは独唱者と一緒に練習しなければ解決できない問題かも知れない。
ラター(Rutter)のマニフィカートでは、合唱は思い入れたっぷりでしばしばテンポ感を喪失するが、管弦樂はその逆だ。テンポ感は悪くないが、その上に感情表現を求められる事が多い。本日の練習ではK先生の指示の半分以上は管弦楽側に費やされる。そう、管弦楽側の大改造が開始されたのだ。
それにしてもラターはクラシック一筋で音樂を行ってきた人間には難物かも知れない。リズムがクラシック音樂的ではなく、むしろポップス的なことが多いからだ。今日久しぶりに練習に加わったコントラバスのTさんはジャズやポップスの素養も豊かで、ラターの低音を担当する姿はほとんどバンドメンバーのそれだ。Tさんが参加したことにより、ベースラインのリズムは著しく強化された。しかし、多くの管弦樂奏者にとっては、例えば、「Fecit potentiam」のリズムなどは普段接していない世界だ。
私の考えでは、この冒頭はジャズピアノの書法を用いている。もしこのパッセージをピアノで弾く場合、私は例えば以下のように弾く。ユニゾンだが、音は時々間引くのだ。これはジャズピアノでしばしば登場する演奏方法である。
おそらく私のこの考えは間違いではないだろう。ラターのオーケストレーション(orchestration, 管弦楽法)は幾分これに似た書法を示しているからだ。以下の樂譜で、ティンパニに注目して欲しい。
…というわけで、本日の結論。低音はジャズを行いましょう………何か違う気もするが(爆)
※ 尚、本日は配布用のポスターとチラシが手に入りました。早速私はこれを元に演奏會案内ページを作成。この演奏會案内ページ、ポスターをほぼ正確に真似していることがお分かりいただけると思います(^^;)。
「普遍的な旋律」というものが存在するのだろうか?まずは黙って以下の旋律の羅列をご覧ください。
最初の2つはラターのマニフィカト「Quia fecit mihi magna」に登場する主題旋律だが、残りはそれぞれ全部異なった曲である。これらの旋律が何か、すべて分かるというあなたは強者です(笑)。
正解は、上から順番に、
ラターのマニフィカトに登場する「Quia fecit mihi magna」の主題の背後には、中世から現代に至る長い歴史が存在するのだ。(※脚注)。同時に、グレゴリオ聖歌以外のすべての曲で、フーガ(fuga)展開、あるいはフーガに似た模倣展開が行われている、ということも注意しなければならない。主題旋律と主題展開方法の間には必然性のような物が存在する、ということだろう。
ラターのマニフィカトでは、上の旋律がしばらく多声的に展開され、それがAs-dur(変イ長調)で完全終止した後、ミサ通常式文(odrinarium missæ)の「Sanctus」が插入される。ここではグレゴリオ聖歌「IN FESTIS B. MARIAE VIRGINIS (CUM JUBILO) / SANCTUS」が原型のまま使用される。マニフィカト全体で最も宗教的な雰囲気が強く表出される部分で、非常に印象的な部分だ。
上の「歴史的な重みを持つ旋律」は、この宗教的雰囲気を準備するための1アイテムとして用いられた・・・そういう可能性があると思う。優れた音樂の背後には多くの歴史や伝統が存在するようだ。
※註: この旋律形を、ヘルマン・ケラー(Hermann Keller)は「音楽の根元的な主題」と説明している。(ヘルマン・ケラー著、竹内孝治・殿垣内知子 共訳「J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集 作品と演奏について」 音楽之友社, 1986 (原著 : Hermann Keller "Das Wohltemperiete Klavier von Johann Sebastian Bach. Werk und Wiedergabe, Bärenreiter-Verlag Kassel, 1965"))