Basso Continuo's Music Page
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2004年11月27日に、宇都宮市内、 「栃木県総合文化センター」で 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.12」 という演奏会が催されます。 こちらに演奏会概要を掲載しています。 私は毎回この演奏会に鍵盤楽器担当として参加しています。 今回採りあげる曲は、 2人のフランスの作曲家「フォーレ」(Gabriel Fauré)と「デュリュフレ」(Maurice Duruflé)のレクイエム(Requiem, Missa pro defunctis)です。 さあ、 演奏会本番までに何が起こるのか、 また、 私は何をしでかしてしまうのか?(^^;)以下をご覧ください・・・
ご注意:
1.テキスト量が膨大になってきたので、以下のように分割しました。
これまで見てきたように、デュリュフレのレクイエムはグレゴリオ聖歌を基盤にしており、広い意味での「編曲」と見なすことが出來る。この「編曲」方法は実に様々な方法によっており、これを詳しく調べることは今後の演奏に際して有益なことだろう。ここではデュリュフレのレクイエムに見られる「編曲」の手法を少し眺めてみる。
既に1月9日の日記に記したように、第1曲"Introitus"は、グレゴリオ聖歌の原曲の旋律をほぼ100%そのまま用いて構成されている。このように、デュリュフレのレクイエムにおいてグレゴリオ聖歌の旋律がそのまま利用されている樂章は多い。例えば、グレゴリオ聖歌「レクイエム」の"Agnus Dei"の旋律、
も、デュリュフレのレクイエムの"Agnus Dei"では、以下のような形で原型通り登場する。
また、"Lux Æterna"についても、グレゴリオ聖歌のレクイエムに見られる旋律
が、デュリュフレのレクイエムでは、そのまま(コラール風に和声付けされただけで)用いられ、
という具合だ。
ただし、デュリュフレは単にグレゴリオ聖歌をそのまま用いるだけではなく、要所要所にオリジナルな素材を配置している。この「オリジナルな素材」の多くは樂器パートに出現するのだが、デュリュフレのレクイエムにおける各曲の雰囲気作りに大きく関わっているように感じられる。例えば、先ほどの"Lux Æterna"の場合には、
このような素材がグレゴリオ聖歌の旋律と交代に出現する。この素材は"Lux Æterna"の中ではグレゴリオ聖歌よりもむしろ印象に残り、この楽章の曲想に重要な役割を果たしている。下に示すように、
この旋律の冒頭はグレゴリオ聖歌旋律の末尾と同じ動きである。それ故、この旋律はグレゴリオ聖歌の雰囲気を拡充する役割を担っている、ということもできる。
"Benedictus"では、印象的な対旋律が現れ、グレゴリオ聖歌の旋律を凌駕している。これも聖歌の旋律よりも耳に残る。
以上とは別に、"Kyrie"の編曲作法もおもしろい。グレゴリオ聖歌では
という具合の旋律だが、これが最初声楽パートにフーガ風に示され、この上に金管が旋律を拡大して呈示するのだ。
(ここでのオルガンは、合唱を支え、低音線を提供する役割を担っている。)
この手法はバッハのコラール編曲にしばしば見られる。例えば、コラール前奏曲"Vor deinen Thron tret' ich"は、上の"Kyrie"と同様な手法で編曲されている。
この特徴は、最初に伴奏部がフーガ風の入りで主要旋律の縮小型を呈示し、これがある程度進行した後に主旋律が登場する、という点だ。主線呈示に先立って模倣様式で予示されることから、「予示模倣」(Vorimmitation)と呼ばれる。
デュリュフレのレクイエムにおける"Kyrie"も、明らかに「予示模倣」を用いている。ただし注意しなければならないのは、予備的に呈示する声部は「合唱」であり、主旋律は「金管樂器」に現れている、という点だ。 「器樂」がグレゴリオ聖歌の旋律を担い、声楽よりも優位に立つという手法は既に第1曲"Introitus"の後半部分でも遭遇したが、"Kyrie"では一層明瞭に現れている、ということが出來る。 デュリュフレのレクイエムではこのように「器樂が歌唱に代わって聖歌の旋律を担当する」という部分が少なくない。こうした部分を見るにつけ、器楽パートを含めた「歌詞と音楽の相互関係」のようなものを考えていく必要がありそうだ、と感じる。
この後、更に"Domine Jesu Christe"や"Libera me"についても見てみたい…が、ちょいと長くなりましたので、とりあえずこの辺で今回は擱筆(^^;)。
番外編をご覧いただくと分かるのだが、今年の演奏会で取り上げるレクイエムで、"Offertorium(Domine Jesu Christe)"と"Libera me" の2曲は、他の曲に比べるとグレゴリオ聖歌の原曲自体がかなり長い。他の曲はグレゴリオ聖歌の原曲が比較的短いため、デュリュフレは、同じ旋律を何回もたたみ込んだり反復したりする方法をとっているが、原曲が比較的長いこれら二曲は、他の曲とは 異なったアプローチが見られる。今回はこの中の一曲、すなわち、"Domine Jesu Christe"がどうなっているのかを見てみることにする。
いままで見てきた曲、すなわち"Introitus","Kyrie","Agnus Dei","Lux æterna"では、 グレゴリオ聖歌の旋律は最初から歌唱部に出現した。ところが"Domine Jesu Christe"はそうではないようだ。冒頭からして他の曲とはいささか様相が異なっている。これを見よう。トロンボーン、クラリネット、バスクラが主体になった8小節間の前奏的な動きの後、チェロとコントラバスに以下の旋律が出現する。
この旋律は直ちにホルンで5度上で模倣される。
ホルンは直前の低弦の動きを正確に(リズムは若干異なっているが)5度上で模倣している。このとき、低弦は最初の旋律に似た動きをしているが、これは同時にホルンに対する対旋律だ。
ホルンの旋律の後、歌唱がようやく出現し、"Domine Jesu Christe"の歌詞を歌い始める。
歌唱が出現するところでの伴奏声部(特にヴィオラ)をよく見ると、直前のホルンの動きを模倣している。
さて、ここまでを見ると、歌唱が出現する直前までの器楽のみの部分は普通の前奏のように見える。しかし果たしてこれは単なる前奏なのだろうか。先ほど低弦やホルンに登場した旋律を、グレゴリオ聖歌レクイエムの"Domine Jesu Christe"冒頭と比較してみる。
ご覧の通り、最初の低弦の動きおよびホルンの動きはグレゴリオ聖歌のオリジナル旋律だ。歌唱に登場する旋律はグレゴリオ聖歌の旋律からはむしろ外れている。元々1つの物であったグレゴリオ聖歌の旋律と歌詞が、時間的・空間的に分離して呈示されている。
これ以降、曲はかなり自由に進行しつつも、要所要所でグレゴリオ聖歌との関聯を見せる。例えば、
あるいは、これの移調である以下の部分
は、金管と合唱の間で一拍間隔で4度のカノンになっているが、このカノンを構成している旋律は、グレゴリオ聖歌と以下のように対応している。
歌詞と音符の関係が、グレゴリオ聖歌原曲とは若干ずれている。また、2度音程が3度音程に変形されたりしている。このために対応が分かりにくくなっているのだ。
じつはここも、樂器のほうが歌よりもグレゴリオ聖歌の旋律に忠実だったりする。激しく刻むような伴奏が実はグレゴリオ聖歌の旋律そのものという、巧妙な仕掛けだ。
…てな具合に"Domine Jesu Christe"を眺めてみたのだけれども、またたく間にページを大量消費した。今回新たに貼り付けた楽譜画像は全部で124KB!このページ全体のサイズはなんと300KBを超えているではないか。 こんな具合にやたらとネットーワーク資源を消費する一方で、譜読み自体は全然進んでない。なにしろ、今回書き記した内容では、まだ"Domine Jesu Christe"の最初の1/3程度しか進んでないことになるというテイタラク…。ほんとに大丈夫かなぁ? 6月20日には最初の合唱合奏合同練習があるというのに(えらいこっちゃ)、こんなにもたもたと譜読みしてたら、全部楽譜を読み終わる前に今年の演奏会終わっちゃうぞ(爆)
今年最初の合唱合奏合同練習の前日(6/19)、私は東京青山に出かけていた。郡上おどりin青山という催しがあったのである。私は郡上八幡ページというのをこしらえていることからも分かるように、郡上おどりには相当入れ込んでいて、相当に気合いを入れて郡上おどりに参加した。なにしろ「郡上おどり免許状」という物まで頂戴してしまったぐらいだ。(こちらが、「郡上おどり免許状」の写真。ちなみにこの「郡上おどり免許状」、簡単に手に入る物ではないのだ。この日に青山郡上おどりに参加した人は主催者側の発表で三千人、このうち免許状を頂戴したのは私を含めて3人である.)
とにかく郡上おどりに気合いを入れすぎた翌日6月20日、私は踊り疲れと筋肉痛を抱えながら練習に赴くという事態になったのである。
練習の前半はフォーレのレクイエムを全曲通し、デュリュフレのレクイエムは後半というスケジュールだった。フォーレのレクイエムは私は参加しないので練習は脇で眺めるのみ。初回の練習にしてはすいすいと進み、結局全曲通してしまった。なんかえらい調子が良い。
一方デュリュフレ、ううむ、なかなか思うように進まない(^^;)。何か私も自分の「入り」を何度も間違えてしまったし、他の人も「入り」がはっきりしない。フォーレに比べると未だ出口は遠い、と感じる。
今回、指揮者のK先生の注意で目立ったのが、楽器パートに対する指摘が多かったことだ。6月15日の日記にも記した"Domine Jesu Christe"の冒頭の低弦、ホルンの音色や、途中に出現する金管と合唱のカノンの動き、弦樂器の細かい3連符音型など、錯綜した書式の中で、どのパートを強調し、どのような表情付けをしていくのかを考えるのはなかなか難しい。本日から合唱合奏合同練習は10回。どこまで仕上げられるか…。決して平坦ではない、大いなる挑戦の道程。怒濤と興奮と混亂(?)の半年間がいよいよ始まった。