Basso Continuo's Music Page
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[Japanese/Nihongo]
2002年末、11月30日に、宇都宮市内、 「栃木県総合文化センター」で 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.10」 という演奏会が催されます。こちらに演奏会案内を掲載しています。 私は毎回この演奏会にチェンバロなどの通奏低音奏者として参加しているのですが…今回採りあげる曲は、かの有名なJ.S.バッハの「ロ短調ミサ(Messe in h-moll)」でありますっ! はっきり申し上げて、非常に手強い相手でありますっ! しかも、バッハの曲ですから通奏低音は非常に重要、すなわち、私にとっても恐るべき相手なのですっ!! 果たして、無事に演奏会本番を迎えられるのか?以下をご覧ください・・・
ご注意:
1.テキスト量が膨大になってきたので、以下のように分割しました。
10月。戸外では雀の声に混じってモズ(百舌鳥, 学名 / Lanius bucephalus)の声が聞こえる。 現在の私の頭には、どんな音楽よりもこうした野鳥の声、水音、木々のさざめき等が、 最良の「癒しの音楽」だ。「鬱病」の状態が続いてはや3年。 まだ頭がどこか疲れているのだろうか?
布団に横になり、ぼんやりと練習予定表を眺めてみる。 10月後半からは練習の開催頻度が高い。 次回の練習は10月20日…等と考えている中に、 ある種の「楽曲分析ネタ」 を思い出した。
今回のネタは、何と「第1キリエ」、そう、あのミサの冒頭曲である。
という大合唱+合奏に始まり、
と、印象的な主題によるフーガが展開されている「あの曲」だ。
今回は冒頭曲"Kyrie"をソナタ形式的な点から「解剖」する。何とも荒唐無稽な…と思われるかも…まあ、 とにかく見てやってください。
まず、最初の4小節は導入部。第5小節から第29小節までは、 人声無しで"Kyrieフーガ主題"が導入、 展開されているが、 この部分が「器樂前奏」であることは誰でも分かるでしょう。
第30小節、 "Kyrieフーガ主題"が声樂テノールに導入されるところから本格的なフーガが始まる。
第45小節でバスにフーガ主題が導入される。 ここは1つの「転換点」だ。なぜなら、第45小節まで各声部に導入される フーガ主題は、 純粋に声楽パートにのみ導入されているのに対し、 第45小節以降導入されるフーガ主題は常に器樂のユニゾンを伴っているからだ。
上がその部分、バス(Basso)主題はファゴット、ヴィオラ、通奏低音(Continuo)のサポート付きで荘重に登場する。調変化も第45小節からは変わる。フーガの定石である「主調-屬調-主調-屬調」という主題投入作法は崩れ、主調-屬調-第2屬調と、主題投入の度にどんどん五度ずつ上に移動する。
(尚、第44小節~第45小節前半の第2ソプラノに「主題」を見つけた人、 なかなか鋭いですが、 ここは見て見ぬ振りをしましょう(笑)。 なぜなら、各声部に主題を行き渡らせる「フーガの呈示部」がまだ完了していないからです)
さてそれではいよいよ本題…このあたりからの楽譜を皆様にご披露いたしましょう。これと同時に、(ちょっと企みがありまして)第101小節からの楽譜も並べてみます。
余り楽譜ばかり眺めていても目が疲れるだけだろうから、結論を先に書く。ずばり、
「第48小節~第72小節」で
第1ソプラノと第2ソプラノを交換し、
アルトとテノールを交換し、
第1オーボエと第2オーボエを交換し、
全体を5度あげる、もしくは4度下げると、 「第102小節~第126小節」になる。
即ち、「第102小節~第126小節」は「第48小節~第72小節」の再現である。
さらに「第48小節~第72小節」では終止部分の小節がfis-moll(嬰ヘ短調=屬調)であるが、 「第102小節~第126小節」では終止部分はh-moll(ロ短調=主調)になっている。
これを踏まえ、その他の部分もまとめると、以下のような構成表ができあがる。
| 1~4小節 | 5~29小節 | 30小節~ | 45小節~ | 48小節~72小節 | 72~80小節 | 80小節~ | 102~126小節 |
| 導入部 | 器樂前奏部 | 声樂フーガの開始 | 樂器付きの主題導入 | 主題展開→屬調終止 | 器樂間奏 | 合唱フーガ再開 | 主題展開→主調終止 |
強調した部分は同じ音楽である。 ただし前半では屬調上にあり、後半では主調上にある。 このような調と素材の組み合わせは、ソナタ形式の「第2主題」と同じ・・・と言う次第。思わぬところで「ソナタ形式的要素」を見つけてしまった。
ソナタ形式の芽は恐らく古典舞曲形式、 あるいはソナタ・ダ・カメラ(Sonata da camera/「室内ソナタ」と訳される)形式の曲のある樂章に見つけることができる。 前半では屬調終止し、 後半では同じ音樂で主調終止する、というパターンだ。 やがて後半の主調終止の直前に「曲の冒頭の旋律」を挟み込むという音楽が作られるようになる。以前、「大解剖」した"Et resurrexit"(復活)はこの段階に属する。
いま徹底的に調べたキリエ・フーガは、ソナタ形式としてみたときには、"Et resurrexit"ほどには整備されていないようだ、が、この曲には更にもう1つ仕掛けがある。 ここでは詳細を示さないが、実は5小節~29小節(器樂前奏部)が48小節~72小節、 あるいは102小節~126小節と全く同じ構造なのだ。 確認したい人は、102小節~126小節の「第1ソプラノ・第2ソプラノ・通奏低音(Continuo)」と、 5小節~29小節(器樂前奏部)の「第1オーボエ・第2オーボエ・通奏低音(Continuo)」とを徹底的に見比べてもらいたい。
この共通部分を仮に「区分A」と称し、先程の表を修正すると、
| 1~4小節 | 5~29小節 | 30小節~ | 45小節~ | 48小節~72小節 | 72~80小節 | 80小節~ | 102~126小節 |
| 導入部 | 区分A (器樂のみ) |
声樂フーガの開始 | 樂器付きの主題導入 | 区分A →屬調終止 |
器樂間奏 | 合唱フーガ再開 | 区分A →主調終止 |
となる。器樂前奏は単なる前奏ではなく、「後に展開される素材の序的呈示」と言うわけだ。 私はこれを「協奏曲ソナタ形式」の萌芽、と見ている。 (「協奏曲ソナタ形式」とは、協奏曲に用いられるソナタ形式の変種で、主題呈示部が「管弦楽呈示部」と「独奏楽器呈示部」の2つに分かれている、 と言うヤツだ)。
色々面倒くさく書いたが、 要するにバッハの「ロ短調ミサ」は、 要所要所にソナタ形式の萌芽になる曲が配置されている。 「ロ短調ミサ」は、決して「当時のみ通用する崇高な宗教曲」だけの世界ではなかった。 その精神内容が当時の宗教界を遥かに越えることはもちろんだが、 精神的な面のみではなく、純粋に作曲技術的な面から見ても、 この中のいくつかの曲は「当時」を乗り越え、 着実に次の時代(ソナタ形式に代表される「古典派」の世界)を準備していた。 そして、音楽史はバッハが準備した道を進んだのである。
…この奥深い名曲と付き合うのもあと1か月余り。 10月20日の練習では、何に出会うのだろう?
今回はソリストの先生方がご登場。ソプラノ独唱のF先生は昨年と同じような魅力的な立ち振る舞い。 アルト独唱のE先生の落ち着いた動作も人を引きつける。 (無論、テノールのS先生、バスのO先生も格好良いのだが、生憎私は♂には余り興味がないので☆((((○=(--;))
早速、ソリストの先生にも加わっていただいて練習を開始。 いつもは伴奏ばかり鳴り響いていた諸々のアリア、デュエット系の曲も、ソリストの声が加わると 全く違った音樂にさえ感じられる。非常に演奏しやすい。
特筆すべきは、以前から問題になっていた「3拍子」。指揮者のK先生がおっしゃるには
「ソロの皆さん、どう思う?」
ソリストの先生がた曰(のたま)はく、
「うーん、なんて言うかな、細かいすべての音符を全部こなそうとするから大変なんですよねぇ…。 私もこの曲は合唱で行ったことがあり、自分で歌っちゃったほうが早いんですが」
というお言葉が発端になって、急遽プロソリストの先生達による即席4重唱が行われることになった。
私のアドリブ伴奏に続いて、"Gloria in excelsis Deo"の一節を披露! バッチリキマっている。会場内からも大拍手。
この後"Cum sancto spiritu"の練習を行ったのだが、直前とは雲泥の差になった。 生まれ変わったような見事な演奏。言葉で色々説明されるよりも、 模範的な実例を聽くことが効を奏したのだろうか、以下、他の曲も練習していったのだが、 とにかく、信じられないような上達だ。ソリストの先生達の「魔法」は強烈だった。
以下、反省之弁…上記のような状況であるにもかかわらず私は、 「Christe eleison」の第16~27小節目、および、 「Laudamus te」の第30~46小節目が今回もうまくできなかった。 どうもこの2曲は苦手だ… とばかり言ってもしょうがない。 指が廻らない云々の話ではなく、 とにかく曲の流れ-調性や和音の動き- が今ひとつ把握できていない。 ここの部分はちょっと効率良い作戰を編み出す必要がある。
「効率良い練習作戰」…手段は色々あるのだ。
さらにもう一箇所、強烈なミスを犯した。 ミスの場所は"Gloria"内部の「Et in terra pax hominibus bonae voluntatis」 (地には善意の人に平和あれ)である。 これは、流れるような旋律の主題と、 その主題と見事に調和した2つの対旋律(對旋律・對位)から成るフーガだ。 以下、 その前半部分を示す。
ごらんのとおり、 2つの対旋律(上の總譜では 「Counter-subject I/第1對位
」 「Counter-subject II/第2對位
」と記してある)は、 ほとんどすべての主題(主題,主唱,Dux(ラテン語)および応答/應答(答唱,Comes(ラテン語)))に付隨しており、
曲は一種の「厳格フーガ」の樣相を呈している。 こうしたフーガ主題と対旋律の絡み合いが、この曲の魅力の1つだ。
ところがこの曲、通奏低音(Continuo)は、 フーガ主題や対旋律の発展にはほとんど関わることなく、 別な動きをしている。 先程の總譜をもう一度見ていただいても良いのだが、 改めて第21小節~第36小節の通奏低音(Continuo)パートのみを取り出して示す。
第24後半、28小節頭、31小節後半の3箇所は、それぞれ3小節半を単位として、 本質的に同じ動きだ。 「低音固定対旋律」とでも呼べるだろう。(「低音固定対旋律」は私の勝手な命名です。一般的な音樂用語ではありませんのでご注意を。) この「低音固定対旋律」は、 八分音符より細かい動きがほとんど無い。ここで私は油断し、テンポ感を喪失した(爆)。 曲はその隙を狙うがごとく、35小節から突如16分音符の嵐に突入。(この16分音符は、 合唱バスが歌っている「第1対旋律/第1對位」と同じものである)ここで私は空中分解してしまい、 K先生に睨まれてしまう羽目に…。
練習終了後、早速K先生の許へ、
「すみません、さっきの所、16分音符の嵐に興奮して、ついつい走ってしまいました」
「いやぁ、でも君のテンポ、最初の頃に比べると、ずいぶん『走ら』なくなってきたじゃない?」
「いえ、実は今、『走りそう』なのをこらえるのに必死で限界ぎりぎりなんです…」(笑)
とにかく私は『アンサンブル』に関して、まだまだ精進が必要だ。 殘された合わせ練習の時間は決して多くはない。こいつは前途多難だぞ!
おまけ:ソリストの先生がたには演奏会案内の韓國語版を差し上げ、好評(?)でした(笑)。
(※1)作曲学の1科目である
「和声学/和聲學」では、
「バスの旋律だけが与えられて、これに、指示に從ってテノール・アルト・ソプラノの上3声を付けていく」
というような練習問題を數多くこなします。 これを「バス課題」と称します。(一方、ソプラノのみが与えられて下3声を付けていく練習問題もあり、
これは「ソプラノ課題」と云います)。これらの課題において、
不足している声部を和声学の規則に從って充填していくことを「(課題の)実施」(Aussetzung(独)/realization(英))と云います。
「通奏低音(Continuo)奏法」すなわち、「鍵盤樂器による通奏低音の『実施』の技術」は、
バロック時代の終焉とともに実作品からは急速に姿を消していきましたが、
音樂の專門教育・教程の現場では「バス課題」の形で現在も生き続けているというわけです。
…という次第で、この印→(●) をクリックすると読みかけの部分に戻ります。
11月にはいると同時に風邪をひいた(+_+;)。一日中布団で過ごすはめに。 もっとも、この記事を書いている今はすでに小康状態だ。ロ短調ミサの樂譜をぼんやり眺めて、以前から思っていたことを書き記す。
ロ短調ミサの終わり近くに位置する「Benedictus」、すなわち、以下の曲を見て、
連想した曲がある。以下の曲だ。
これは、「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」から、 第14番 (fis-moll/嬰ヘ短調)のプレリュードだ。 (「平均律第2巻」の中でも屈指のアリオーソ的プレリュードだと言われている)
この2曲、よく似ているように思う。具体的に類似点を列挙してみる。 まず、 拍子(両方とも3/4拍子)、 調性(「h-moll/ロ短調-fis-moll/嬰ヘ短調」…♯1個しか違わない近親調)、 声部数(どちらも3声体様式)、 3連符の多用を含む複雜なリズムの高音線、 等。 更に、 両方で「同じ音型」さえ見られる。
こんな理由で、恐らく「Benedictus」を演奏するときには、 平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第14番の経験(演奏、レッスン等)を生かして良い、 と考えている。
考えてみれば「ロ短調ミサ」は、バッハの音樂の総決算。 すなわち、 「ロ短調ミサ」には、 バッハが過去に用いた自分の音樂の色々な要素が反映されている、 ということだ。 演奏する側から見ると、 過去に経験したバッハの色々な曲が、 この曲を演奏するときのヒントになるのかも知れない。 上はそうした例の1つという事は出來ないだろうか。
他の部分でも、 私が今まで学んだバッハの音樂の知識(←痴識?(^^;))を生かせるところがたくさんありそうだ。 本番まで残り日数は少ないが、 こういう類例を探してみるのも有益かも…
紅葉が街の中にも見られるようになった。風も強い。外はすっかり冬の趣だ。 私は先日風邪を引いたが、 今回の練習はK先生が風邪を召されたそうで、曰(のたまは)く、 「どーも今日は調子が良くないです」…皆さんも、気を付けましょう(++;) 本番まであと27日。いわゆる「合唱合奏合同の練習」というものは、 (当日のリハーサルを合わせて)あと4回。
本日の練習は、一旦、最初から最後まで通したのちに、改めて問題箇所をとりだす、というものだった。
「3拍子における第1拍の取り扱い」(再三注意されている) 各種のアリアにおける「区切りの部分」の復習と、 そこでのテンポ変化の確認。顕著だったのはアレグロ楽章での16分音符における 低音弦樂器(含、通奏低音撥弦鍵盤樂器(私のことだ^^;))の「走る」傾向と、低音声楽の「遅れる」傾向だ。 こうなると私はあたふたしてしまって、K先生の指揮棒を凝視しようとする→ が、完全に音が暗譜できていないので時々視線を樂譜に向けなければならない→そこで又リズム感が狂う。 こんな事の繰り返しだ。要するにこの期に及んでも譜読み不足。自分の事ながら落ち込んでしまう。
更には「第2Kyrieにおけるフーガ主題のディナーミク」これは既に1か月前に注意を頂戴した部分だ。
私の第2Kyrieパート譜の欄外には、以下の(A)のような書き込みがある。 "10/16"は、K先生から御注意を頂戴した日付。
漢字ハングル混在のところ
は「弓状音型」と書いてある。 これは(B)の赤印の意味で書いたのものだ。 (でもこれは「雰囲気作り」のために書いた物です、というのは、チェンバロって、連続的な強弱を付けることが出來ないんです(^^;))
残り少ない日程で、上の課題、特に低音部における合唱・オーケストラ間のずれ、これを何とかしなければならない。
聞けば、合唱隊(グローリアクワイアー)は、我々器樂隊(グローリアアンサンブル)とは別な練習の機會を もう1日設けているそうだ。この練習に出向いて、合唱隊の感覚、特に、速度感を 把握してみようと思う。 合唱隊が変なのか、自分が狂っているのか…いや、両方とも変になっている可能性もあるゾ(^^;)。 この「合唱練習の最終調査」は結構、 「意義ある行為」かも知れない…。
もう1つ、私個人に殘っている宿題は例の「円滑な通奏低音実施へむけての作戰始動」… と言うと仰々しいが、要するに通奏低音をバス課題として扱い、幾通りも「実施」することだ… などなど考えつつ帰宅してひょいと夜空を見上げると。南天に君臨する參の星(※1)。ああ寒いっ!
練習時間は本日を含めてあと3回。あと3回で本番がやってくる。「本番」がやってくるという事は、 同時にこの何とも魅力的な曲との「お別れ」の時期が近づいてきている、という事だ。さみしいなぁぁ(笑)
今日の練習は、いつもと異なり、大ホールのステージを用いて行われた。また、いつもはご多忙で練習に来られない 第1トランペット奏者も加わった。やはり、ステージ上で行うと気合いも迫力も違う。皆、いつも以上に熱気に満ち満ちている。
何度も言われていた「3拍子の感覚」…これについては私はかなりオーバーに表情付けをしてみたのだが、 このぐらいが丁度良さそうだ。私の通奏低音(Continuo)で困難だった箇所も解決のめどが立った。自分がやらなければならない事、自分が行いたい事の9割近くは 本日の練習で実現できたような気がする。
皆「ここまで來たらもう、小細工は無用だ!」という雰囲気。とても盛り上がってきている。 確かに、今から新しい小細工を入れる事は無理だし、例え「新たな小細工」を入れたところで演奏の質は向上しないだろう。 とにかく、指揮者のK先生がおっしゃっていた
「自分がどういう役割をしているのかを理解しながら演奏しましょう」
この一言に尽きると思う。
でも、K先生の上の御注意はとても意味が深い。例えば、
を判断しながら演奏しよう、という事だ。 一言(ひとこと)で言うのは簡單だが、真剣に行うとなると結構大変な事だ。各人各人がもう一度、スコア(總譜)を片手に自分のパートをチェックすることが必要だと思う。
本番まであと数日、私は今後スコアをもう一度見直し、スコアとパート譜を枕にして寝ます(笑)。
スコアを眺めていたらちょっと面白い事に気が付いた。11月23日の日記では「今更新たな小細工は…」と書いた。 しかも、直接、今回の演奏会の出來に関係することではないかもしれない。しかし 我ながらちょっと「面白いこと」を見つけたので書き散らしてみる。
…………………………
「ロ短調ミサ」はとにかく長い曲だ。そして、過去に実演したカンタータの「寄せ集め」が半分、と言っても過言ではない。
すなわち、元来バラバラであった曲を1つにまとめたといえる部分がある。
それにもかかわらず、我々はこの曲に「何かの統一感」を感じる。
これは決して「歌詞の一貫性」のみに由来する物ではないだろう。
音樂自体に「統一的な何者か」が存在し、我々はこの「統一的な何者か」をいつの間にか聴き取っているのだと思う。
全曲にわたる「統一的な何者か」が、もし存在すれば、これを「統一楽想」と呼ぶ事が出來るのではないか。
「統一楽想」の顕著な使用例としては、ベートーヴェンの第5交響曲「運命」を挙げる事ができるだろう。 交響曲「運命」の冒頭主題は、 第1樂章で徹底的に展開されるが、他の樂章、特に第3樂章で変形して再出現することで有名である。(以下の2つの樂譜)
この場合、冒頭主題、あるいはその素材を「統一楽想」という事が出來るだろう。
さて、話をロ短調ミサに戻す。私は、このクソ長い曲を統一している「何か」を求めて、第1曲「キリエ」(Kyrie)のフーガ主題
に、ゴルゴ13のごとく(笑)照準を合わせ、真剣に眺めた。
「ゴルゴ13の最初の標的」(笑)は、第1曲「キリエ」(Kyrie)のフーガ主題と、「Qui sedes ad dextram patri」(父の右に座する貴方)冒頭との類似だった。
何よりも両者の調性が同じである。前半、何度も属音に戻りながら上昇する。この旋律構成法がお互いによく似ている。 そして特にこの場合、 両方ともオーボエダモーレで演奏されるという点が、この類似性の発見を容易にしている。
しかし、さらに私の興味を引いたのは、第1曲「キリエ」(Kyrie)の主題と、「Gratias Agimus tibi」(そして貴方に感謝する)のフーガ主題との類似だった。
これを説明するためにはちょっと遠回りをする。 まず、第1曲「キリエ」の主題をD-dur(ニ長調)へ移旋する。 「第1曲『キリエ』の主題を『長調化』する?」と驚いたり笑ったり人もいるかも知れないが、第1曲「キリエ」の主題を長調化することは、 バッハ自身も行っていることだ(第1曲「キリエ」の第76小節後半以降の第2ヴァイオリン)。 だから第1曲「キリエ」の主題を長調化することをためらう必要はないだろう。 また、「Gratias Agimus tibi」(そして貴方に感謝する)は低音部から始まる。これとの比較を容易にするために第1曲「キリエ」の主題もヘ音記号の領域で書き直す。
すると、以下のような楽譜が姿を見せる。
更に第1曲「キリエ」主題の前半は、 「2声部的な書法」になっている(礒山教授の御見解)ことを考慮すると、 以下のような楽譜ができあがる。
さあ、これで準備が出来た。この樂譜を、以下に示す「Gratias agimus tibi」(あるいはこれと全く同じ樂曲である「Dona nobis pacem」(我々に平和を與えたまえ)の冒頭と見比べて欲しい。
両者が類似している事が理解いただけると思う。
「Gratias agimus tibi」(そして貴方に感謝する)の音樂は、カンタータBWV 29のある樂章の流用であり、 成立時期は「キリエ(Kyrie)」よりも古い、と言われている。 しかしバッハはこの「Gratias agimus tibi」(そして貴方に感謝する)の 主題を、ミサの中でもとりわけ重要視していたのではないだろうか?だからこそ、 全曲の冒頭たる「キリエ」の主題として、「Gratias agimus tibi」(そして貴方に感謝する)の主題を変形して用い、 更に、ミサの終曲「Dona nobis pacem」(我々に平和を與えたまえ)へも転用したのではないだろうか?
いずれにしても、第1曲「キリエ」の主題は"Gratias agimus tibi"を「先祖」として誕生した可能性が出てきた、ということだ。
しかし、第1曲「キリエ」の主題に存在し、「Gratias agimus tibi」には存在していない要素がある。 「半音階進行」だ。 これはおそらく「Gratias agimus tibi」(そして貴方に感謝する)とは別な、半音階を多用した曲…例えば「Crucifixus」(十字架に磔にされ)…あたりから派生し、 この主題に組み込まれた物だと思う。(下の樂譜のうち、上段は「Crucifixus」の低音線を示す。その基礎になった半音階進行は中段のとおり。最後の段は、この半音階が第1曲「キリエ」の主題にどのように組み込まれているかを示す。)
「Crucifixus」(十字架に磔にされ)の低音旋律(いわゆる「ラメントバス(Lament Bass / 悲嘆の低音)」)はe-hの4度を半音階進行で埋め尽くしており、 これはキリエフーガ主題の中の半音で動き回る範囲とほぼ一致する(第1曲「キリエ」のフーガ主題には補助音的にAis(A#)が存在するが、無視できる範囲だろう)。 「Crucifixus」(十字架に磔にされ)は「ニケア信経」の中の曲だが、その源はバッハの初期のカンタータにさかのぼる。 ひょっとすると、バッハは「キリエ」や「グローリア(Gloria)」を書いたとき、既に「ニケア信経」が頭の中にあり、 「Crucifixus」(十字架に磔にされ)に 「ラメントバス」を使う事を頭に置いていたのではないだろうか?
等々、我が『妄想』(笑)は尽きない。ここでは更に、先程述べた第1曲「キリエ」の主題、あるいは、「Gratias agimus tibi」主題の系列に屬する他の樂章の旋律を2つ挙げておく。
まず、「Et in terra pax hominibus」(地には善意の人に平和あれ)のフーガ主題…第1曲「キリエ」のフーガ主題
この2つ、旋律の構成方法が同じである。「Et in terra pax」のフーガ主題を特徴づける、前半の音階的な4度上昇と、 後半の7度跳躍は、第1曲「キリエ」のフーガ主題の特徴でもある。
続いて、「Et resurrexit」(復活)の冒頭の主要素材音形。今度は「Gratias agimus tibi」と比較してみる。
音符の対応は非常に明瞭だ。あの華麗な協奏曲的音樂「Et resurrexit」(復活)の中心素材旋律が、 古様式の「Gratias agimus tibi」主題のほぼ完全な縮小形になっているのは、 何とも不思議な気分だ。
以上、わずか数曲しか検討していないが、「ロ短調ミサ」の中には、今まで考えもしなかった「統一楽想」らしいものが存在しているようだ。 これは、作曲した年代が著しく異なる曲の集合体である「ロ短調ミサ」をまとめるに際して、バッハが「全曲の統一」に どれほど気を配ったかという事、更に、我々演奏者、さらには聽衆の皆さんが「ロ短調ミサ」全体を1つの統一体として扱うべき物である事、 を、示しているように思う。
でもこれ、本番前に見つける事が出來て良かったッス。本番が終わってから見つけたんじゃ意味がない。それにこれは、僕にとってはちょっとした「大発見」(^^)。 残り少ない練習期間でどんどん皆にアピールしよう!(笑)